冬の木曽路を訪ねて

1月17日の日曜日、前夜ふと思いつき木曽路を訪ねてみ
ました。
俗に木曽十一宿と言われ北の贄川宿から南の馬込宿まで
十一の宿場が有ります。
中山道六十九次の内の一部ですが贄川宿は日本橋から
数えると33番目の宿場になります。

贄川から順に南へ宿場を訪ねることにして朝7時MGFで
出発しました。


































中央道甲府付近からの南アルプス。























毎度お馴染、韮崎付近からの八ヶ岳。
























八ヶ岳PAで小休止、さすがに寒いので幌は被っています。


























贄川宿にやって来ました、明治時代の大火で宿場の殆どを焼失してしまい往時の面影は殆ど残っていません。
しかしその中で右の写真の深澤家住宅という商家の建物がのこっていました、嘉永7年(1854年)の建築だそうです


次に奈良井宿にやってきました、奈良井は妻籠と並んで大火
に遭わず古い建物が数多く残り往時を偲ぶ事が出来ます



























往時は奈良井千軒と言われ木曽十一宿の中では一番
賑った宿場だそうです。
左の写真は「越後屋」という旅館ですが、宿屋或は旅籠
と言った方が似つかわしい佇まいです。
寛政年間(1789~1801年)の創業と言いますから凡そ
200年の歴史があるわけです、私も遥か昔に一度だけ
ご厄介になった事があります。


話はそれますが、寛政年間といえば池波正太郎の
鬼平犯科帳の時代に重なります、主人公の長谷川平蔵は
実在の人物で寛政7年火付盗賊改役をお役御免になり
その3カ月後49歳で他界しています。
全く関係のない余計な話でした。












こちらは杉の森という造り酒屋、同じく寛政年間の創業だそうです、
まだ新しい杉玉が掛っていました。























次に藪原宿を訪ねました、此処も大火で古い建物が焼失し宿場の面影は失われています。

しかしこの建物が残っていました、遥か昔に二度ほど泊ったことが
あるのですが「米屋」という宿屋です。
慶長13年(1608年)の創業と言いますから400年の歴史が有る訳です
「米屋興左衛門」という看板が下がっており今でも営業しているようです。

ただ、この建物は明治初期に須原宿から移築したものだそうです。




















昼時になったので宮ノ越近くの国道沿いの蕎麦屋で昼食。






















馬刺しともり蕎麦を注文、蕎麦は二八ではなく蕎麦十に繫ぎが二だそうです、自分で磨る山葵が付いてきました


宮ノ越宿にやって来ました、此処も大火によって昔の面影は
失われていました、又ここは木曽義仲ゆかりの地として知られて
いますがあまり詳しくないのでここでは割愛。




















江戸より六十六里三十五丁
京へ六十八里二十二丁という
道標、中山道のほぼ真ん中
という事になります。





























宮ノ越から権兵衛トンネルを通り伊奈、高遠を経て諏訪に向かいました。























権兵衛トンネルから下って来たところで南アルプスが綺麗だった
のでチョット横道にそれて1枚。






















杖突峠からの蓼科方面の眺め、中央の山は蓼科山。























同じくこちらは美ヶ原(多分)方面の眺め、下は諏訪湖。























偶然前を通ったので諏訪神社に参拝。
諏訪神社は上社と下社に分かれ上社には本宮と前宮が有り
下社には春宮と秋宮が有ります、ここは上社本宮。





















今年は御柱の年です、出来れば一度位見物に来たいものです。
























諏訪湖畔の片倉館にやって来ました、西洋館風の外観
からは想像つきませんが日帰り温泉施設です、故事来歴
は省きますが勿論源泉かけ流しで一番の特徴は立って
入るということです。
ここで一風呂浴びて諏訪インターから中央道で帰途に就きました。

木曽十一宿残りは何れ又訪ねたいと思います。